「パン職人になるまでの道のり」

幼少からのアレルギー体質

私は3歳のころから「喘息」「アレルギー体質」で、病院通いが続き、発作がいつ起こるかわからないので、常に吸入器がそばにないといけないような状態でしたが、当時の吸入器はとても重く気軽に持ち運べるものではなくて外泊は出来ませんでした。
そのため小学生の頃、学校行事のキャンプなどに参加できず「何で俺だけこんな目にあうんや・・・」と子ども心に悔しい想いをしました。
しかし、両親や家族の支えもあって中学、高校はスポーツ(野球)で体を動かすことにより、体調も良くなり、元気になっていきました。

幼少からのアレルギー体質

アトピー性皮膚炎発症

大学、社会人と進み、成人になるにつれ、通院をしながらではありますが、支障なく暮らしていました。 ところが、結婚して半年後、仕事がだんだんと忙しくなり、食事や生活のリズムの面で不摂生が続くようになると、突然アトピー性皮膚炎を発症したのです。 元気になってもう心配ないと思っていた自分がまさか・・・という思いでした。 大学病院でもらう薬はステロイド性の塗り薬で、一時的に症状はおさまるものの、アトピーの根本改善にはならず、薬の量は増えていく一方で、病院での治療という治療はなく、ただ経過を見守るだけでした。

発症前

[発症前]

治療中

[治療中]

食の大切さを知る

そんな中、ヨガの先生と出会い、「食事の大切さ」を教わりました。このとき、はじめて玄米菜食に取り組み、以前から不安におもっていた薬に頼ることを止め、温泉治療や温冷浴も行うようにしました。経験された方はお分かりになるかと思いますが、薬を止めた時のリバウンドは強烈で、想像以上でした。顔は腫れ上がり、皮膚はカサカサ、夜は全身を掻きむしるので、関節は自由に動かせず、シーツは血だらけ。ついには休職を余儀なくされました。しかし、肉や魚を極力控え、玄米と野菜のみの生活を続けたところ、半年で体調が回復、仕事に復帰することができました。

治療後

[治療後]

元気になる

[元気になる]

アトピーの再発
そして一冊の本との出会い

子どもも生まれ、しばらくして福岡に転勤になり、職責も重くなって、充実した生活を送っていた時、ふたたびアトピー性皮膚炎を再発したのです。またか・・・。
特に家内は「治った!」と思っていただけに大きなショックを受けたようでした。
どうしたらいいのかと悩んでいた時に「アトピーは自然からのメッセージ」の著者・赤峰勝人氏(大分県「なずなグループ」代表)と出会いました。

アレルギーを食で克服

「中途半端では駄目だ、体が弱っているときは徹底的に!」と言われ、食事ノートをつけそれを見てもらいました。外食を一切やめ、外出時は玄米のおにぎりを持参する等、化学物質を含むものも一切、排除しました。体の冷えを改善するため、陽のもの(体を温めるもの・陰陽の陽)をとるように心がけ、有機栽培の玄米と野菜のみ、1日2食の生活を1年間徹底して続けました。
体調のいいときやすぐれないときもあり、はじめは波がありましたが、何よりなずなの本当に美味しい野菜や玄米を食べて体調は次第に回復。この体験で人間にとっていかに食べ物が大事で、且つありがたいものかを身をもって知ることになりました。
そして少しは自分で味噌汁を作ったり、ごはんを炊いたりてんぷらを揚げたり出来るようになりました。

食で克服
食で克服
食で克服

偶然あった一台のオーブン

ある日、玄米菜食での療養中、無性にパンが食べたくなり、安心して食べられるパンを求めると、・・・なかなか身近にはなく。たまたま、自宅にあるオーブンで本を見ながらなんとなくパンを焼いてみるとパン作りををしたことが無かった自分でもなんとか焼くことができたのです。
嬉しくて何度か焼くうちに、他にも同じような苦しみを味わっている人でパンを食べたい人がいるはず! 「そんな全国の同じような想いをもった方々にパンを届けたい!」と思うようになりました。

偶然あった一台のオーブン

夫婦2人でパン屋をはじめる

私は早速パン教室に通い、又そのご縁で知り合ったパン職人の方々にいろいろ教えてもらい、次第にパンの作り方がわかってきました。
そこでパンを焼くなら自分が普段食べている食材(玄米や野菜)を使って焼こうと思いました。それが始まりです。
家の台所横にあった4畳ほどの広さの倉庫を改装して、パンを焼き始めました。

パン屋をはじめる

そして作ったパンを持って、当時小3の息子を連れ飛び込みで販売を始めました。 売れたときは二人でアイスを買って帰るのが楽しみでした。 その後徐々にではありますが地元の方々に応援して頂き、地元直売所に出荷するようになり少しづつ注文が入るようになりました。 当時から楽楽は本当に皆様に支えて頂いていると思います。有難いです!!

パン屋をはじめる
パン屋をはじめる

歩み

1年後、工房が手狭になり、自宅の駐車場を改装して、新しいパン工房が完成しました。
そのころたまたま全国紙に掲載して頂き北海道から沖縄まで全国の方々から注文が入りました。
また近くに大型の直売所が出来て順調に出荷出来ました。
福岡 糸島というところは人を受け入れ育ててくれるような土壌があるのかも知れないと思っています。

全国紙に掲載
パン工房
直売所

また5年目頃に近所の主婦の方々にパートとして来てもらう様になり、仕込み:製造:包装配達:販売など皆でバトンをつないでひとつのパンを焼き上げています。
研修生なども受け入れてパン作り畑作業を共に勉強しています。

パートさん
研修生
研修生

糸島クラフトフェスティバルやパン博博 岩田屋百貨店などのイベントに出店するようになり、また、親子パン教室や地元農業高校のパン講習も楽しくやっています。

親子パン教室
親子パン教室
地元農業高校のパン講習
地元農業高校のパン講習

楽楽をはじめたころはパンの種類によってバター牛乳など使っていましたが、食物アレルギーの方々から卵・乳製品を不使用でなければパンを食べれないというお声が多かったので、楽楽は2012年に全てのパンを卵・乳製品不使用としました。

トレーニングジムからの依頼でトレーニング用の砂糖不使用のラカントパンや、乳・卵アレルギーの方々の依頼で給食用の乳製品不使用のオーダーメイドパンを焼いています。

2014年から夏:冬の楽楽っ粉限定パンセットを企画して好評をいただいています。
現在は地元の産直市場や自然食品店、百貨店などへ卸したり販売したり通信販売などを行っています。
サラリーマンの時とは違って手紙やメールなどでお客様の生の声を直接聞けるのでうれしいし励みになります。
ただ現在起床が朝の2時 3時と早く立ち仕事なので正直体力的には大変です。
やはり仕事は体力(健康)が何より大切だなとサラリーマンのとき以上にしみじみ思います。
しかし妻や家族やパートの方々の支えもありお蔭で元気にやっています。
息子は小・中・高と地元糸島で野球をやりお蔭ですくすく元気に育ちました。
息子の野球の応援に行くのが楽しみで、子どもの成長とともに楽楽も成長してきた様に思います。

2015年5月に全国で講演されている大分のお百姓赤峰勝人さんの講演会を福岡糸島で開催しました。
私も世話役代表として半年たずさわり何事も循環することの大切さを説かれ、当日は400名程の方々に来て頂き大盛況でした。 
素晴らしいスタッフの方々と素敵な講演会が出来たことが幸せでした。

今は、自分にできる範囲で、できることをコツコツと積み上げて行ければと思います。
これもアトピー喘息のお蔭です。
今後も一日一日を大切に精一杯生きていこうと思っています。
何よりも家族:廻りの方々皆様健康で・・・

西暦 年齢 楽楽 経過
1991/11  29歳   結婚 大阪 堺市へ
1994/9 32歳   アトピー発症1度め ヨガ 玄米 温冷浴
1997/4 35歳   兵庫 神戸市へ 長男誕生
1999/4 37歳   福岡県 西区姪浜へ
2003/4 41歳   アトピー発症2度め
2004/4 42歳   休職 一冊の本に出会う 玄米菜食
2005/4 43歳   退職 糸島へ
2006/4 44歳 1年目 ご近所にパン配り始める 近くの直売所出荷 子供と販売
2007/4 45歳 2年目 よか全国紙掲載 4月大型直売所出荷 自宅駐車場改装工房へ
2008/4 46歳 3年目 小麦・野菜栽培開始 経営革新取組
2009/4 47歳 4年目 1月工房店舗開始 5月HP開始 ミキサー導入
2010/4 48歳 5年目 パート採用 糸島・天神各種イベント 報道番組
2011/4 49歳 6年目 イベント はんこやさん 岩田屋さんイベント
2012/4 50歳 7年目 第二期経営革新 卵・乳製品不使用 研修生
2013/4 51歳 8年目 直売所イベント HP拡充 パン教室 高校講習
2014/4 52歳 9年目 夏 冬セット販売 楽楽っ粉完成 ドゥーコン入る
2015/4 53歳 10年目 赤峰さん講演会 右ひじ痺れ
2016/4 54歳 11年目 HPリニューアル 長男大学へ
2017/4 55歳 12年目 第3期経営革新、イベントパン