野菜が高いから・・・
野菜の値段がとても上がっていましたね。ほんの少し落ち着いた感じはありますが。
春菊一束が500円とか、ほうれんそうも390円とか、特に葉物野菜が打撃を受けていたようでした。
少し前には玉ねぎも品薄になり、高いとか安いとかじゃなくて、いつもの生協に行ったら玉ねぎがない!
聞いてみたら、入荷はするのだけど、午前中には売り切れてしまうそう。
「入荷量も少ないけれど、それ以上に、今はどこに行っても玉ねぎが品薄なので、みなさん見かけたら多めに買われるみたいで・・・。」だそう。
玉ねぎは、今年はうちで栽培したものも大きくならなくて、夫が失敗したのかと思っていたらww、糸島のプロの農家さんも同じで、九州での大きな産地である佐賀でも同様だったそうです。
そして大産地北海道の台風被害により、大規模な品薄状態になったようですね。
玉ねぎとかにんじんって、いつでもどこででも買えるような、そして比較的保存もきくので家の中にいつでもあるような印象の野菜ですが、いろんな条件が重なると、あっという間に世の中から消えてしまう。
食べ物がふんだんにあるって、今は当たり前みたいに思っているけど、本当はとてもとてもいろんなことに恵まれているからであると思っていないといけないのだろうなと思わせられる出来事でした。
<楽楽の畑でとれた にんじん >
野菜が高くなると、みな、冷凍の野菜食べとこう、とか、モヤシ食べとこう!とか、買い控えが起こりますが、それってあんまり行き過ぎると困ったことになると思います。
だって、高くなってるのは、採れる量が減って、供給より需要が多くて値段が上がっているだけであって、値段が上がってるからと言って、農家さんの収入が増えるわけではありません。
単純にいうと、単価×出荷数が収入ですからね。
単価が上がって、出荷数が変わらなければ収入増だけど、出荷数が激減したら見込んでた収入より少ないかもしれない。
かかっている諸経費は下がるわけじゃないから、実質の利益はさらに落ち込んでるかもしれない。
だから、野菜が高くなったら、消費者も困るけど、農家さんも決して儲かってるわけではないと思います。
いろんな種類の野菜を栽培している農家さんは、一つの品種がうまく収穫できなくても、まだ他の品種で挽回できるかもしれませんが、単一の品種で経営している農家さん(米だけとか)だと、一年間いろんな経費をかけて栽培してきたものが、ほとんど収穫できないとその年はまったく利益なし、あるいは赤字になってしまいます。
そういうことが重なると、外に働きに出ないと、とか、子どもには継がせられない・・・となっていく。
そしてどんどんどんどん農業に従事する人がいなくなり、農地が減っていく。
今、農業している人は年配の方が多いです。
そしてその方たちの子どもさんたちは違う職業についていることが多いです。
この親の方たちの代が終わったら、農業はどうなっていくのだろうか?
いまみたいな値段で野菜を買えるんだろうか、どこのスーパーや直売所をまわってもなかなか野菜が手に入らないなんてことにならないだろうか?・・・と私はよく思います。
そこで、外国から野菜を輸入したらいいじゃない!って言わないで下さい。
それはさらにますます身近で農業をする人を減らしてしまいますよ。
そして、外国からいつでも野菜が入ってくるとも限りません。
外国にだって天候不順はあるし、外交の具合では売ってくれなくなるかもしれないし、いろんなことで輸送手段が壊滅することだってありえます。
ときどき、天候不順で野菜が品切れになる時、この思いが強まります。
野菜売り場にモノがない、棚が空っぽ、スカスカ。
この状態が日常になるような日が来ることがあったらどうしよう。
ほんの70年ほど前には日本でもそんなことがありましたよね。
戦争でなくても、気候不順などいろんなことが重なれば、起こりうることだと思います。
もともとの農家さんの数が減ってしまっていたら?なおさらです。
野菜が高いとき、買い控えるのではなく、他のものに使っているお金を回しましょう。
高くなったって言っても、清水の舞台から飛び降りなければならないほど値段は上がってませんって!
よーく考えたら回せるお金、絶対あるはず。
こういうときは、たとえば衣料品や化粧品にかけてるお金を減らして野菜に回しましょう。
野菜が安くなったら、またそっちにお金を回せばいいんだから。
そういう私も一時モヤシに目が行きがちでしたがww、いやいや、それではいけないよな、と思い直してからは、がっつり野菜買って、昨日はお鍋にしましたよ。
白菜1/4で約200円!一玉だったらいくらなんだ~~!!・・とは思いつつ。
高いといっても、まだまだ白菜があるということに感謝して、家族でお鍋を食べられるということに感謝して。
野菜を作ってくれている人がいること、すみやかに運んでくれている人がいること、それを売ってくれているお店があること。
どの部分がポシャっても私は白菜が食べれなかった。
それを思うと、いろんなモノに、いろんなコトに、適正な対価を払うのが本当はみんなが楽しく豊かに暮らせる道なのだと思います。
安いもの、安いものと求めているから、自分に回ってくるモノ(わかりやすい例でいうと給料)も安くなってくる。
<昔、うちで栽培してた白菜>
バブルも見てきたし、デフレも見てきたし。
そろそろ高すぎる経験も安すぎる経験も、もういい。
身の回りで安心して、安心できるモノ、コト、人に囲まれて暮らす生活がいいんじゃないかと思うのです。
いまどき、若い子のほうが、なんとなくそれをわかっているような気がしています。
世の中は移り変わっていくものですが、人が生きていくうえでどうしても不可欠な空気、水、食べ物。
それらを大切にするために、よーく考えて毎日を生きないとなーと思います。
お金が残ってても、実際、こういうものたちがなくては、生きてはいけませんからね~。
自分の地元で、農業をしてくれている人に感謝して、応援してあげて下さいね。
野菜を買ったり、お米を買ったり。
漁港があるところならお魚を買って。
農業、漁業など一次産業は大変なんですから。
他所よりまず地元。
それから近県。そして日本。
それが自分や子や孫を助けることになると思います。
ちょっとくらい高くても買う!
迷ったら買う!
大丈夫!!
お金は回る!!
<菜っ葉と楽楽夫>